
宮崎 駿監督

引退会見(3)
学ぶことが
たくさんあって
ハッピー

(注) 今日の記事もめっちゃ長い


お時間のあるときにゆっくりお読みください
よろしくお願いします
(3)
記者:「風立ちぬ」最後の場面、
「あなた来て」のせりふから
「あなた生きて」

今、変えたことについて長編最後の作品として悔いはないか


宮崎:
「風立ちぬ」の最後は
本当に煩悶(はんもん)

なぜは煩悶したかというと、
とにかく絵コンテをあげないと
制作デスクの
「さんきち」という女の子が、
本当におそろしい


ほかのスタッフと話していると、
床に「10分にして下さい」

張られたり、
机の中にいろんな
叱咤激励のことばが
張ってありまして。
絵コンテを形にしないことには
どうにもならないので、
いろんなペンディング事項があるけど、
とにかく形にしようとしたのが、
追い詰められた実態

それで、
「やっぱりこれはだめだな」と思いながら、
絵が描かれていても、
せりふは変えられますから、
その時間に冷静になって
仕切り直しをしたんです。
「最後の草原はいったんどこなんだろう

これは、煉獄(れんごく)であると仮説を立てたんですね。
ということは、
カプローニも堀越二郎も亡くなって再会している。
「菜穂子はベアトリーチェだ」 だから、
「迷わないでこっちに来なさい」とやっていたら、
自分でこんがらがって、それをやめたんです。
神曲なんか一生懸命読むからいけないんですね。
(参考) 煉獄

カトリックの教理で、
小罪を犯した死者の霊魂が天国に入る前に
火によって罪の浄化を受けるとされる場所、
およびその状態。
天国と地獄の間にあるという。
ダンテが「神曲」中で描写。
ベアトリーチェ【Portinari Beatrice】[1266〜1290]
イタリアの詩人ダンテの恋人

フィレンツェ生まれ。
ダンテが終生の理想とした女性で
「新生」「神曲」などを創作する原動力となった。
記者:長編アニメーションの映画の世界観を
伝えられた達成感はあるのか

宮崎:
その総括はしていません。
自分が手抜きしたという感覚があったら
暗いんですけれども、
とにかく
「たどり着くところまではたどり着いた」

いつも思ってましたから、
終わったあとはその映画は見ませんでした。
だめなところは分かっているし、
「いつの間にか、それが直っている」と
言うことも無いので、
振り向かないようにやっていました。
同じことはしないつもりで、
やってきたつもりです。
記者:ジブリを立ち上げたのが40代の半ばだったと思うが、
今まで日本の社会はどういう風に変わってきたと感じているか

どんな70代にしたいのか

宮崎:
ジブリを作ったときの日本のことを思い出すと、
経済大国になって浮かれ騒いでいた

「日本はすごいんだ」

それについて、かなり頭に来ていました

頭に来ていないとナウシカなんか作りません。
ナウシカ、ラピュタ、
トトロ、魔女の宅急便 というのは、
基本的に
「経済は勝手ににぎやかだけど
心のほうはどうなんだ


ということを巡って作っていたんです。
でも1989年にソ連が崩壊

日本のバブルもはじけて

その過程でもう戦争が起こらないと
思っていたユーゴスラビアが
内戦状態

本当に歴史が動き始めました。
「今までの自分たちが作ってきた
作品の延長上に作れない」

という時期が来たんです。
その時に豚を主人公にしたり、
高畑監督はたぬきを主人公にしたりして
切り抜けたんです。
それから長い下降期

それから失われた10年は
失われた20年になり、
半藤さんは失われた
45年になると予想しています。
僕らのスタジオっていうのは、
経済の上り調子のバブルの崩壊する、
ここのところに引っかかったんです。
それがジブリのイメージを作ったんです。
そのあと、じたばたしながら
「もののけ姫」
を作ったり
やってきましたけれども、
「風立ちぬ」まで、ずるずると下がりながら、

「これはどこに行くんだろう

と思って作り続けた作品です。
ただ、ずるずるが長くなりすぎると
最初に引っかかったナウシカ以降の
引っかかりが持ちこたえられなくなって、
「どろっていく可能性はあるんじゃないか

抽象的な言い方で申し訳ありませんが、
僕の70というのは、
ずるずると落ちていくときに、
友人や隣の保育園の子どもたちがいるなかで、
なるべく背筋を伸ばしてきちんと
生きなければいけない

ついてるレオさん コメント(笑い)
なるべく背筋を伸ばしてきちんと
生きなければいけない
素敵な言葉

記者:中国のジブリファンの代わりに。
将来、中国で上映する可能性は

星野社長(スタジオジブリ):
ご存知のとおり、
中国には外国映画の本数規制があり、
規制緩和はされていますが
まだまだ本格的に日本映画が
上映できる流れではありません。
前向きに考えてはいるが、
現時点ではジブリ作品が
上映される状況ではありません。
記者:監督がお好きな映画作品、監督は

宮崎:
今の作品を全然見ていないんで。
ピクサーのジョン・ラスターは友人です。
競争相手ではないと思っていません。
今の映画見てないんです。
本当に。だからすみません。
高畑監督の作品は
見ることになると思いますが、
まだ、のぞくのは失礼なので
のぞかないようにしています。
記者:「風立ちぬ」に庵野監督や
アルパートさんのゆかりの深い起用、
どんな思いがあったんでしょうか

宮崎:
渦中にいる人は気がつかないと思うんです。
映画もテレビも見ていないんです。
「風立ちぬ」を作っている間、
自分の記憶の中によみがえっているのは
モノクロ時代の映画

昭和30年以前の作品です。

暗い電気の下で生きるのに
大変な思いをしている
若者や男女が出てくる
作品ばかり見ていたんで、
そういう記憶がよみがえるんです。
それと、今のタレントさんの
しゃべり方を聴くと、がく然とします。
「何という存在感の無さだろう」

庵野もアルパートさんも存在感だけです。
かなり乱暴

そのほうが映画にぴったりです。
菜穂子をやっていただいた方なんかも、
みるみるうちに菜穂子になってがく然としました。
そういう意味で
「風立ちぬ」は、
ドルビーサウンドだけで、
ドルビーではない音にしてしまう。
それと「がや」は
20人も30人も集めてやるんじゃなくて、
音響監督は2人で済んだ、
と聞いています。
つまり、昔の映画は
そこでしゃべっているところでしか、
マイク

回りでどんなにほかの人間が
しゃべっていても
それは映像には出てこないんですよ。
そのほうが世界は正しいんです。
それが、24チャンネルになったら
あっちに声を付けろ、
こっちにも声を付けろって。
全体をばらまいた結果、
情報量は増えているけれども、
表現のポイントはものすごく
ぼんやりしたものになっているんだと思います。
それで、思い切って、
美術館の短編をやっていくうちに、
「これで行けるのではないか

と思っていたのですが、
プロデューサーがまったくためらわず、
「それで行こう」

うれしかったですね。
音響監督も同じ
問題意識が共有できていて、
「それが出来た」

こういうことってめったに起こらないと
僕は思います。
これもうれしいことでしたが、
いろんなポジションの責任者が、
色だとか背景だとか動画のチェックをする人が、
制作デスクの女性も音楽の久石さんも、
なんか円満な気持ちで終えたのは初めてなんです。
もっととんがって、
ぎすぎすしたところを
残しながら

終わったものですが、
僕はつい、僕のお通夜みたいだと (ついてるレオさん

言ったんですけど、
20年ぶり、30年ぶりの
スタッフも集まってやりました。
そういうことも含めて、
映画を作る体験としては
非常にまれなよい体験として終われたので、
本当に運がよかった

ついてるレオさん コメント(笑い)
へぇ〜、そんなエピソードがあったのですね(笑い)
記者:監督はやせているように見えるが、
今の健康状態は

宮崎:
僕がアニメーターになったころ、
体重は57キロでした。
それが60キロを超えたのは
結婚したせいなんですが、
三度三度飯を食うようになってからです。
一時は70キロを超えました

そのころの自分の写真を見ると、
みにくい豚のようで辛いんです。 (ついてるレオさん

映画を作っていくために
体調を整える必要がありますから、
外食をやめました。
朝ご飯をしっかり食べて、
昼ご飯は家内が作った弁当を持ってきて食べて、
夜はうちへ返ってから食べるんですけれども、
ご飯は食べないで
おかずだけ食べるようにしました。
別にきつくないことが分かったんです。
女房の協力のおかげなのか、陰謀 (ついてるレオさん

なのか分かりませんが、
これでいいと思ってるんです。
最後57キロになって
死ねるといいなと思っているんです。
健康は、いろいろ問題があります。
問題がありますが、とても
心配してくださる方々がいて、
寄ってたかっていろいろやらされますので、
しょうがないので、
それに従ってやっていますので、
なんとかなるんじゃないかと思っています。
映画を一本作るとよれよれ

どんどん歩くと体調が直ってくるんだけど、
この夏はものすごく暑く

上高地に行っても暑かったんで、
「呪われている」


歩きが足りないんです。
もうちょっと歩くと
もう少し元気になると思います。
ついてるレオさん コメント(笑い)
健康管理って大切ですよね
宮崎監督も健康のためには
ウォーキングが大切とおっしゃっていますね(笑い)

記者:町工場のおやじと称される監督が
ジブリから出している「熱風」を通じて、
憲法を変えるのはもってのほかと題した文章を配信された理由は

宮崎:
「熱風」から取材を受けて、
思っていることを率直に話しました。
ああいう記事になりました。
訂正する気もありません

「じゃあ発信し続けるか」と言われると、
僕は文化人じゃないので、
その範囲でとどめていようと思います。
鈴木プロデューサーが
新聞で憲法について語ったんですよ。
そしたら鈴木さんのところに
脅迫

冗談でしょうけれども、
電車

ぶすっとやられるかもしれない

そういう話があって、
これで鈴木さんが
腹を刺されているのに
知らん顔するわけにいかないから、 (ついてるレオさん

だから僕も発言しよう、
高畑監督も発言してもらって、
3人いると的が定まらないだろう (ついてるレオさん


と思って発言しました。
それが本当のところです。
記者:「力を尽くして生きろ、持ち時間は10年だ」

という言葉があるが、
監督のいつがその10年だったのか

この先どういう10年にしたいのか

宮崎:
僕の尊敬している
作家の堀田善衛さんが
最晩年にエッセーで
旧約聖書の「伝導の書」

「空の空なるかな」という
エッセーで書いて下さったんです。
その中に
「汝の手に耐うることは
力を尽くしてそれをなす」

という文章があるんです。
その本はずっと私の手元にあります。
10年は僕が考えたことではありませんが、
「絵を描く仕事は、
38歳くらいに
だいたい限界が来て
死ぬやつが多いから気を付けろ」

と絵の先生に言われていたんです。
だからだいたい10年と思っていた。
僕は18歳の時に絵の修行

始めましたので、
実際に監督になる前に
アニメーションというのは
世界の秘密をのぞき見ることだ

風や人の動きや表情や
まなざしや体の筋肉の動きに
世界の秘密があると思える仕事なんです。
それが分かったとたんに、
自分の選んだ仕事が非常に奥深くて、
やるに値する仕事だ

と思った時期があるんです。
その10年は何となく思い当たります。
「その時自分は一生懸命やっていた


「これからの10年は
あっという間に終わるだろう」 と思っています。
だって美術館作ったのが
10年以上たっているんです。
「これからさらに早いだろう」

それが私の考えです

(続く)
【追伸で〜す】
特に、宮崎監督の2つの言葉

アニメーションというのは
世界の秘密をのぞき見ることだ、
風や人の動きや表情や
まなざしや体の筋肉の動きに
世界の秘密があると思える仕事なんです。
それが分かったとたんに、
自分の選んだ仕事が非常に奥深くて、
やるに値する仕事だと思った時期があるんです。
それと
その時自分は一生懸命やっていた

心にジ〜ン

宮崎 駿監督 引退会見
明日が4回め
最終回です

さて、今日も
自分なりの世界の秘密

上気元で顔晴りましょう (^.^)
今日はいい日だ!
9月10日
ついてるレオさん
