2013年09月09日

宮崎 駿監督 引退会見(2)

コスモス 亀岡市夢コスモス園 京都.jpg
 
 宮崎 駿監督
 引退会見(2)

 ワクワク揺れるハート(笑い)

 (注) 記事はかなり長いがく〜(落胆した顔)ハートたち(複数ハート)(笑い)
     お時間のあるときにゆっくりお読みください
     よろしくお願いします


 (2)

 記者:当面は休息を優先するのかexclamation&question

     「風立ちぬ」を作るに当たって、
     東日本大震災や原発事故が与えた影響はexclamation&question

 宮崎:

 「風立ちぬ」の構想は、
 震災や原発事故によっては
 影響はありません。

 映画を始めるときに
 初めからあったものですぴかぴか(新しい)

 映画を作りながら、
 時代に追いつかれて
 追い抜かれた感じあせあせ(飛び散る汗)がありました。

 僕の休息は他人から見ると
 休息に見えないものでして、
 仕事も好き勝手なことやっていると、

 大変でもそれが休息になることがあるので、
 ごろっと寝転がっていると
 返って疲れるだけなので、

 まあ夢としては東山道を歩いて、
 京都まで歩けたらいいなと思うんですけど、
 途中で行き倒れになる可能性があるが。

 それは時々夢見ますけど不可能だと思います。


 記者:「時代に追いつかれ追い抜かれた」のことばと
     引退は関係あるのかexclamation&question

 宮崎:

 関係ありません。

 皆さん、

 アニメーションの監督が
 何をやっているかよく分からないと思うけど
 アニメーションの監督といっても
 みんな仕事が違います。

 僕はアニメーター出身なもので、
 描かなくてはいけないんです。

 そうするとどういうことが起こるかというと、

 メガネを外してですね、
 こうやって描かなきゃいけないわけです。

宮崎 駿監督.jpg

 これを延々とやっていかなきゃ
 いけないんですけど、
 どんなに体調を整えて節制していても、
 それを集中していく時間が
 年々減っていることは確実なんです。
 それを実感しています。

 例えば、ポニョのときに比べると
 机を離れるのが30分早くなっています。

 この次は1時間早くなるんだろうと、
 その物理的な加齢によって
 発生する問題は
 どうすることもできませんし、

 それでいらだっても
 どうしようもないんです。

 「違うやり方をすればいいじゃないか」
 という意見があると思いますが、
 それが出来るならとっくにやっていますから、
 できません。

 僕は僕のやり方で貫くしかないので、
 長編アニメーションは
 無理だと判断したのですパンチ


 ついてるレオさん コメント(笑い)

 宮崎監督のお仕事も
 ご自分でおっしゃっているように
 町工場のおやじのように(笑い)
 地道な作業の連続あせあせ(飛び散る汗)
 体力のいるお仕事なのですね


 記者:今や、クールジャパンと言われる
     日本のアニメーションの世界をどう思うかexclamation&question

 宮崎:

 まことに申し訳ないんですが、
 私が仕事をやるということは、
 いっさい映画カチンコも見ない
 テレビTVも見ない生活をすることです。

 ラジオだけ朝はちょっと聞きます。
 新聞はぱらぱらと見ますが、
 あとはまったく見ません。
 驚くほど見ていないんです、

 ジャパニメーションが
 どこにあるのかも分からないんです。

 余談で話すわけにもいきませんから、
 それに対する発言権は
 僕には無いと思います。

 皆さんも私の年齢になって、
 私と同じデスクワークを
 やったら分かると思うんですが、

 そういう気を散らすことは
 いっさい出来ないんです。

 参考試写という形で
 スタジオの映写室で
 何本か映画をやってくださるんですけど、
 たいてい途中で出てきます。

 仕事をやった方がよいと思って。
 そういう不遜な人間なので
 今が潮だなと思います。


 記者:過去の映画監督は引退宣言をされずに
      引退した人も多いが、あえてしたのはexclamation&question

 宮崎:

 引退宣言をしようと思ったのではないんです、
 僕はスタッフに「もう辞めます」と言いました。

 その結果、プロデューサーから
 「それに関して取材の申し込みがあるがどうするか」と言われ、
 「いちいちそれを受けていたら大変ですよ」と話がありまして、

 「じゃあ、僕のアトリエでやりましょうか」と言いましたら、
 そしたら人数が多すぎて入りきらないと

 「じゃあ、スタジオの会議室で」と言ったらそこも難しいと。
 そしたら、ここになっちゃったんです。

 これは何か無いと口先だけでごまかすわけに行かないので
 「公式引退の辞」ペンを書いたんです。
 こんなイベントをやる気はさらさら無かったんです。


 記者:宮崎作品は
     商業的な成功と芸術的な評価と両方されたが、
     宮崎映画のスタイルを表現してほしい、
     
     宮崎映画が日本映画に及ぼした影響、コメントをexclamation&question

 鈴木:

 そういうことは、あまり考えないようにしている。

 そういう風にものを見ていくと
 目の前の仕事が出来なくなる。

 現実的にはナウシカ以来
 30年間関わっているが、
 ずっと走り続けてきて、
 過去の作品を振り返ったことはなかったんですよ。

 それがたぶん仕事を現役で続けることだパンチ
 思っていたんです。

 自分たちの作品が世間に影響を与えたか、
 それも考えないようにしてきました。


 ついてるレオさん コメント(笑い)

 鈴木プロデューサーの言葉 深い(笑い)

 ずっと走り続けてきて、
 過去の作品を
 振り返ったことはなかったんですよ。

 それがたぶん仕事を現役で続けること

 素敵な言葉ぴかぴか(新しい)(笑い)
 

 宮崎:

 まったく僕も考えていませんでした。
 再三、分岐点にたどり着いたって聞いたら、よかった。
 それで終わりです。


 記者:先ほどイタリアが好きだとお返事があったが、
     フランスはいかがですかexclamation&question

 宮崎:

 正直に言いますね。
 イタリア料理レストランの方が口に合います。

 クリスマスクリスマスにたまたま
 フランスに用事があって行ったときに、
 どこに行ってもフォアグラが出てきたんです。
 これはつらかったふらふら

 ルーブルアートはよかったですよ。
 よいところはいっぱいありますけれど
 料理はイタリアの方が好きだ。

 フランスのポール・グリモーという人の
 1950年代に公開された
 「やぶにらみの暴君」が甚大な影響を与えた。

 5つ先輩の高畑監督の世代には
 圧倒的な影響を与えたんです。

 僕らは少しも忘れていません。

 今、見てもその志とか
 世界の作り方については、
 本当に感動ハートたち(複数ハート)します。

 いくつかの作品がきっかけになって、
 「自分はアニメーターをやっていこう」パンチ
 決めたわけですから、

 そのときにフランスで作られた
 映画のほうがはるかに影響を受けています。

 記者:宮崎監督が1963年に東映動画に入社してちょうど半世紀。
    振り返っていちばんつらかったこと、よかったことはexclamation&question

 宮崎:

 スケジュールはどの作品もつらかったたらーっ(汗)
 終わりまで分かっている
 作品を作ったことがないんです。

 どれも見通しの無いまま作っていたので
 毎回ものすごくつらかったふらふら

 「最後まで見通せる作品は
  自分でやらなくてもいい」パンチ

 と思い込んでいました。

 絵コンテという作業があるんですが、
 まるで新聞連載みたいな作業で、
 月刊誌みたいに感じで。

 スタッフは、この映画が
 どこにたどり着くか
 分からないままでやっているんですがく〜(落胆した顔)

 よく我慢してやっていたなと思うんですけど。

 そういうことが自分にとっては
 いちばんしんどかったです。

 同時にカットを見て
 「これはああではない」
 「こうではない」と
 いじくっていく過程で、

 前よりも映画の内容についての
 自分の理解が深まるパンチというのも事実なので、

 それによってその先が考えられるというか、
 あんまり生産性には寄与しない方式で
 やりましたけど、それはつらいんです。

 とぼとぼとスタジオにやってくる日々で。
 そういう50年のうち何年そうだったのか、
 分かりませんけどもそういう仕事でした。

 監督でよかったこと一度もないふらふら

 記者:監督になってよかったと思ったことについてexclamation&question

 宮崎:

 「監督になってよかった」と
 思ったことは一度もありませんけど、

 「アニメーターになってよかった」ハートたち(複数ハート)
 思ったことは何度かあります。

 アニメーターというのは、
 「何でもないカットがかけた」とか、
 「うまく水が描けた」とか、
 「うまく水の処理ができた」とか、
 「光の差し方がうまくいった」とか、

 そういうことで、
 まあ2〜3日は幸せハートたち(複数ハート)になれるんですよ。
 短くても2時間くらいは幸せハートたち(複数ハート)になれるんです。

 監督は最後に判決を待たなくてはいけないでしょ。
 これは胃によくないんです。

 ですから、
 アニメーターは自分に合っている
 よい職業だったと思います。


 記者:ではなぜずっと監督をやってきたのかexclamation&question

 宮崎:

 簡単な理由でして、
 高畑勲と会社が
 組ましたのではないです。

 労働組合の事務所で出会って
 ずいぶん長く話をしました。

 一緒に仕事をしたのが、
 ハイジが最初だったんですが、
 まったく相互に打ち合わせが
 必要の無い人間になっていたんです。

 こういうのを出した瞬間に
 お互いに何を考えているのか分かる
 人間になっていたのです。

 ですから、

 監督というのはスケジュールが遅れると
 会社に呼び出されて怒られるちっ(怒った顔)と、
 高畑勲は始末書をいくらも書いていましたが、

 そういうのを見るにつけ、
 僕は監督はやりたくないと思っていました。

 まして、
 音楽やなにやらかんやら、修行もしていない。

 だからある時期が来て、
 「おまえ一人で演出をやれ」と言われても
 途方に暮れたんです。

 音楽家音楽と打ち合わせと言われても、

 「何を打ち合わせて
  いいか分からない、よろしく、」と。

 初めからまったく
 「監督や演出をやろう」と
 思った人間ではないんです。

 それをやったんで、
 途中、高畑監督に助けて
 もらったこともありますけど。

 その戸惑いは
 「風立ちぬ」まで
 引きずってやってきました。

 映画の演出をやろうと
 思ったパクさん(高畑監督)と
 絵を描けばいいんだという
 僕の修行は全然違うんです。

 監督をやっている間も
 僕はアニメーターとしてやっていたので、
 多くの助けやとんちんかんが
 いっぱいあったと思うんですけど、

 それについてはプロデューサーが
 ずいぶん補佐してくれました。

 つまり、映画もテレビも見ないから、
 どういうタレントがいるとか
 何も知らないんです。
 すぐ忘れるんです、

 僕は。これはチームというか
 腐れ縁があったおかげで
 やってこれたと思います。

 決然と立って、
 ひとりで孤高を保っている
 監督では全然無かったです。

 「分かんないものは分かんない」パンチとやってきました。

 記者:高畑さんの「かぐや姫の物語」は見ているかとexclamation&question

 宮崎:

 全然見てません。

 きょうここに並ぼうよと持ちかけたが
 「いやいや」と、
 まだまだやる気だと思いました 揺れるハート


 (続く)


 【追伸で〜す】

 次回は 宮崎 駿監督 引退会見(3)です(笑い)

 2020年オリンピック
 東京に決まりましたね揺れるハート(笑い)

 おめでとうございますぴかぴか(新しい)

 今朝は超快晴晴れ
 爽やかなぴかぴか(新しい)
 最高の天気です手(チョキ)

東京タワー オリンピックカラー.jpg
カチンコ東京タワー オリンピックカラー

 さて、今日も
 顔にツヤぴかぴか(新しい)をだして(笑い)
 上気元で顔晴りましょう (^.^)

  今日はいい日だ!

 9月9日

 ついてるレオさん 揺れるハート



posted by ついてるレオ at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 生きる知恵 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック