2013年09月07日
宮崎 駿監督 正式引退!
映画製作の第一線から退くことを
表明されていた
宮崎 駿(はやお)監督
6日、東京都内のホテルで
記者会見を行ない
正式に引退を表明されました
(注) 今日の日記は信じられないほど長い(笑い)
よろしくお願いします(^.^)
みなさんもご存じの通り(笑い)
宮崎 監督は
1941年、
東京都生まれ
学習院大卒業後
63年、アニメ制作会社
「東映動画」に入社し、71年に退社
初の劇場用アニメの監督作は
79年の「ルパン三世 カリオストロの城」(笑い)
84年「風の谷のナウシカ」で
アニメ作家として
広く知られるようになりました。
85年にスタジオジブリを設立
「天空の城ラピュタ」(86年)
「となりのトトロ」 (88年)
「魔女の宅急便」 (89年)
「紅の豚」 (92年)
「もののけ姫」 (97年)
「千と千尋の神隠し」(01年)
「ハウルの動く城」 (04年)
「崖の上のポニョ」 (08年)
「風立ちぬ」 (13年)
とたくさんの名作をつくられました
特に、2001年
「千と千尋の神隠し」は
興行収入304億円
日本映画史上最高記録
スゴイ(笑い)
(参考)
【ブログ】ついてるレオさん"Happy Life"
千と千尋の神隠し (10 12 2009)
海外では
02年
ベルリン国際映画祭
アニメ映画として
史上初の""金熊賞を受賞
03年
アカデミー賞
"長編アニメーション部門作品賞"を受賞
04年
ヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞、
ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞
05年
ベネチア国際映画祭で
"栄誉金獅子賞"を受賞しました。
記者会見での一問一答
「僕は何度もやめると言って
騒ぎを起こしてきた
人間なんですが、今回は本気です」
−引退の理由は
「僕は自由です
やらない自由もあるんです。
加齢はどうすることもできない。
僕の長編アニメーションの時代は
はっきり終わったんだと思う 」
−今後やりたいことは何か
「(三鷹の森)ジブリ美術館の展示には関わりたい。
自分が展示品になっちゃうかもしれないが。
車が運転できる限りアトリエには通いたい。
文化人にはなりたくありません。
町工場のおやじでいたい」
−描いてきた作品に共通したメッセージは
「子どもたちに、
この世は生きるに値するんだと伝えるのが
仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた。
それは今も変わっていません」
−思い入れのある作品は。
「とげのように残っているのは
『ハウルの動く城』
ゲームの世界を
ドラマにしようとした結果、本当に格闘した」
−つらかったことは
「(製作に入る段階で)
終わりが分かっている作品を
作ったことはなく、
スケジュールに追われてつらかった
ただアニメーターは、
風がうまく描けたとか、
光の差し方がうまくいったとかで
二、三日は幸せになれる。
自分に合った職業だと思う」
−今後のスタジオジブリについて
「重しがなくなって、
若い人から
『こういう物をやらせろ』という
声が起こることを願う 」
ついてるレオさん コメント(笑い)
宮崎 駿(はやお)監督は
絵コンテや原画をすべて自分の手で作り上げる
ご自分でもおっしゃっているように
「町工場のおやじ」としての
頑固なこだわり(笑い)があったようですね
終わりが分かっている作品を
作ったことはなく、
スケジュールに追われてつらかった
そして、引退の理由は・・・
インタビューでは
「映画を作るのは死に物狂い。
映画を作るのは重圧でした」
そう笑いながら振り返り
「眼鏡を外して、
こうやって
(身をうずめて)書かないといけない。
どんなに体調を整えても、
『〜ポニョ』のときと比べて
机を離れるのが30分早くなってた。
加齢はしょうがない
違う方法でできていれば
もうやってましたが、やりません。
長編のアニメはできませんと判断したんです」
ときっぱり言い切っていましたね
そして、今後、企画や脚本の形で
長編アニメに関わることはないのかとの質問にも
「ありません」と否定されました
宮崎駿監督の「公式引退の辞」全文です
ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。
自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、
仕事をつづけたいのです。
その目安を一応“あと10年”としました。
もっと短くなるかもしれませんが、
それは寿命が決めることなので、
あくまでも目安の10年です。
ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、
作って来た人間ですが、
作品と作品の間がずんずん
開いていくのをどうすることもできませんでした。
要するにノロマになっていくばかりでした。
“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。
次は6年か、7年か…
それではスタジオがもちませんし、
ぼくの70代は、というより
持ち時間は使い果たされてしまいます。
長編アニメーションではなくとも、
やってみたいことや試したいことが
いろいろあります。
やらなければと思っていること
―例えばジブリ美術館の展示―も
課題は山ほどあります。
これ等は、ほとんどが
やってもやらなくても
スタジオに迷惑のかかること
ではないのです。
ただ家族には今までと同じような
迷惑をかけることにはなりますが。
それで、
スタジオジブリのプログラムから、
ぼくをはずしてもらうことにしました。
ぼくは自由です。
といって、日常の生活は少しも変わらず、
毎日同じ道をかようでしょう。
土曜日を休めるようになるのが夢ですが、
そうなるかどうかは、
まぁ、やってみないと判りません。
ありがとうございました。
昨日、民放 日本テレビ系列では
金曜ロードSHOW!
「紅の豚」が放送されました
おもしろかった(笑い)
そのエンディング曲
「時には昔の話を」
作詞:加藤登紀子 作曲:加藤登紀子 編曲:管野ようこ
歌: 加藤登紀子
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあるあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望をたくした
揺れていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間(とき)を感じた そうだね
道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人がいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
この歌詞の
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね ・・・
この男は、宮崎さんかも(笑い)
今でも同じように
見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
宮崎 駿 監督
素敵な作品に出会えたことに感謝してます (^.^)
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【ブログ】ついてるレオさん"ハッピー日記"
コクリコ坂から! ( 1 11 2013)
もしお時間があれば寄ってね (^.^)
【追伸で〜す】
今日は、二十四節気
白露(はくろ)
野には薄(すすき)の
穂が顔を出し、
秋の趣(おもむき)が
ひとしお感じられる頃
朝夕涼しくなりましたね(笑い)
週末エンジョイですね
さて、今日も
自分を精一杯生きて(笑い)
上気元で顔晴りましょう (^.^)
今日はいい日だ!
9月7日
ついてるレオさん
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